こんにちは。マリーヌです。
今日はブロックのお話をしようと思います。
ブロックと言えば
子どもたちも大好きな玩具を思い浮かべる人が多いと思うけど
無垢の積み木から
知育的なものまで
内容は多岐に渡るよね。
遊び方も年齢により異なり
積み上げた瞬間から崩すのを楽しむ乳児さん
自分で積み上げる楽しみを味わう幼児さん
より高く積み上げることを競う大人さん
…などなど様々だよね。
実はこのブロック、心にもあるんだって。
人は産まれた時から
ある一定の期間は
蓋が開いていると言われ
全てを吸収できる能力が備わっている。
良くも悪くも
見たもの聞いたもの全てを
自分のものにすべく学習する。
この蓋は心にも存在していて
家族の言葉は大きな力を持つ。
その中でも特にママの言葉は絶大で
そのひとつひとつが
子どもの心のポケットに
ストン。
ストン。
と落ちていく。
でも、本当は子どもとママの出会いは
出生時ではなく
お腹の中の繋がりから始まったはず。
その頃から
ママの言葉や気持ちは
子どもの心のポケットに貯蓄されているんだね。
この蓋が開いている間は
言葉そのものがそのまま入っていき
幼少期のママの言葉や価値観が
子どものフィルターをつくる
とも言える。
フィルターと言うのは
大人は誰しもが持っている
物事を判断し選別する基準となる指針のこと。
三つ子の魂百まで
ということわざがあるように
幼い頃に植え付けられた価値観は
成長とともに子どもの性格のベースとなる。
心のポケットにたくさん入った
周囲の言葉や気持ち。
これらがもし大人の勝手な想いに溢れていたら…?
親の期待の押し付けや
子どもをコントロールしようとする想い
世間に合わせた育てやすい子にする為の言動や
大人の都合による教育。
どれもこれも
子ども主体ではなく
本当の子どもの心を尊重している行為、とは言いがたいよね。
だって子どもはひとりひとり違うのが本来の姿であり
みんな一緒の価値観というプールの中では泳げない存在だから。
その中に入れられても
溺れてしまったり
相手を傷つけてしまったり
水を誤飲してしまったり
することがあり
本来持ち合わせているはずの
ワクワクする心を感じるチャンスすら逃し
苦しいー!ってなってしまうんだ。
そしてこれが心のブロックの根っことなってしまうことがある。
ママと子どもは違っていい。
私とママは違っていい。
みんな違って当たり前。
お互いがそれぞれの価値観を認め
それぞれの存在を尊重して付き合っていくことができたら…
それはこの上なく素敵な関係の基盤になるんじゃないかな。
ところで
こんな事を考えるのって
人間だけよね?
野生の動物は、ここまでの思考能力はない。
でも立派に生きている。
人間以上に立派に生きている。
なぜか。
動物は病気にはならないと言われている。
そして
太らない。
ダイエット!
と言ってランニングマシーンに
乗っているのは人間だけ。
野生動物は大地と言う名の広大なトレッドミルを有効に活用している。
食べ物は
パンダさんは 笹竹
コアラさんは ユーカリ
肉食動物は 肉
草食動物は 草
を食べて生きている。
人間さんは 1日30品目!
を推奨されている。
自然界は共存共生で
必要なものを必要な分だけ取り入れる。
食料にありつけない日だってある。
私たち人間は
1日3食、ほぼ決まった時間に食べるとされている。
そして
自分たちの都合で
他の生物の生態系を変え
自然界にはない物質を加えた食品を創り出す。
そうして
病気、という結果がついてくる。
病気も、元を辿れば自分がつくったもの。
その原因は実は自分自身が一番よく知っていて
本当は治りたくない
とか
病気でいることで周りの関心を惹きたい
という深い心の叫びを含むこともあるんだとか。
そんな私たちの根底に密かに存在することがある
心のブロック。
もしかしたら
本能に従い自然の摂理に沿って生活している動物たちには
このブロック自体が存在しないのかもしれないね。
幼い時に親から受け取った記憶を引き出し
自分を肯定しながら
自分の純粋な要求を再確認してあげよう。
だって
心と身体は切り離されることを望んでいないんだから♡
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
さて、今回は長くなりましたが
マリーヌの日記の連載も終盤となりました。
今まで読んでくれてありがとう。
私のからだの様子を筆頭に
それに対する考え方
全体の物の捉え方など
こういう見方もあるんだ
と言うことが伝わると本望です。
最初にもお伝えした通り
正解は自分の中にしかありません。
自分の感じたことを、
感じるがままに、
正直に、
皆と歩いて行きたいです。
それでは、またいつかお目にかかる日まで!
マリーヌより
愛を込めて。
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